幹事のつぶやき「オリンピックの遺産」

「オリンピックの遺産」

早いもので,令和元年も年の瀬を迎えました。来年には,いよいよ東京オリンピック・パラリンピック競技大会(東京2020大会)が開催されます。東京2020大会のテーマの1つに「復興」があります。東京2020大会は「復興した東北の姿を世界に示す絶好の機会になる」と,大会組織委員会は述べています(アクション&レガシープラン2016)。このアクション&レガシープランは,東京2020大会を東京・日本にとってどのような意義のある大会にするかを考えるためのものだそうです。

日本で開催された,あるいは開催予定だった夏季大会を振り返ると,昭和15(1940)年の東京大会は,大正12(1923)年の関東大震災からの復興を,昭和39(1964)年の東京大会は,敗戦後の焼け野原からの復興を世界に示そうとするものだったと言われています。確かに,東京大会というのは復興と深く関係していると言えそうです。しかし,過去の2大会はいずれも復興が終了してから開催が決定されたものでした。東京2020大会の開催決定は,東日本大震災発災の1年半後でした。ふつう,「復興五輪」は復興が終わってから開催するものです。それは気持ちの問題というより,復興の過程においては人・モノ・金を最大限,生活の再建に使うべきだからです。

規模の大きな国際スポーツ大会では,選手の好成績や大会の成功がしばしばナショナリズムと関連づけられます。東京2020大会でも「日本すごい」が声高に叫ばれることと思います。しかし,それは一面的なものであり,ナショナリズムを「国民同士の仲間意識(助け合い)」という観点で考えた場合,東京2020大会の開催はどういった意味を持つのでしょうか。もし復興が終わっていないうちに,被災地から離れた場所で「復興五輪」を開催することを決めるような国があれば,その国が危機に際して団結することなどないのではないかと疑います。東京2020大会が盛況のうちに閉幕することを願うと同時に,東京2020大会をきっかけに日本の分断が加速しないことを願います。(五)

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