「くらしを守るという理念」
先の参議院議員選挙で、田中昌史候補が自民党から出馬したのは、記憶に新しい。選挙の争点の1つは、消費税率10%への引き上げの是非であったとされる。しかし、本当に論点であったと言えるかは、疑わしい。なぜなら、国民の多くは消費税に反対であったのに、与党が選挙に勝利したからであり、何より投票率の低さが争点のなさを表している。つまり、消費増税に対して、国民の多くが気持ちの上では嫌だが仕方ないと思っているのが実情ではないだろうか。
消費税は、消費に対して広く薄く課税をして、社会的な便益にかかる費用を、国民ができる限り公平に負担をしようという税制であるとされる。消費税が導入されたのは平成元(1989)年だが、このような考えは、高度経済成長が終わった1970年代から徐々に広まったと言われる。背景には、国民は政府サービスへの甘えから脱却し、自立すべきという思想があったと言われる。この思想が拡まったのは、自由な競争を強めることが社会の活力を生むという主張の下、政府による市場への介入を小さくする改革が進められたのと無関係ではないだろう。
しかし、今の経済状況は、消費税が導入された時とは全く異なる。我が国は20年以上デフレから脱却できず、世帯当たりの家計消費支出は10年前のリーマンショック後より少ないのである。このような状況下では、消費税の潜在的な問題が顕在化する。所得の高い人より低い人の方が高い税負担率になる逆進性は解消されず、様々な理由で生活に困窮した人からも等しく徴収する悪平等を生む。このような税制は、人々の暮らしを安定させるのだろうか?社会の活力を生むのだろうか?健全な市場競争を可能にするのだろうか?そもそも、消費増税は、デフレ脱却という政策目標に逆向するインフレ対策である。
日本理学療法士協会の理念に、「くらし」を守るというものがある。暮らしを守ることについて、我が国は「民の竈」という4世紀頃の逸話が言い伝えられてきた国である。しかし、先人が偉大であったことは、今の日本に問題がないということを意味しない。現在、為政者を選ぶのは国民である。税制は、国民がどのような社会を築いていきたいかという理念の発露と言える。サミュエル・スマイルズは言った、「りっぱな国民にはりっぱな政治、無知で腐敗した国民には腐りはてた政治しかありえないのです」。我々が本来問うべきは、消費税率引き上げの是非ではなく、消費税そのものの是非ではないだろうか。(五)
※「幹事のつぶやき」は県連盟幹事が、政治に関する解説、時事批評、エッセイ、書評などを気ままにお届けするものです。是非、感想をお寄せください(hiroshima-info@pt-renmei.info)。なお、本コラムは個人の見解であり、広島県理学療法士連盟の見解ではありません。(広島県理学療法士連盟情報発信・令和元年8月28日・第201号)