幹事のつぶやき 「民主主義を疑え」

「民主主義を疑え」

若者の政治離れが叫ばれて久しい。それは投票率の低さに現れるが、投票率の高低は政治離れの本質ではないように思う。なぜか。民主主義は失敗するものなのである。その上で、失敗を前提に民主主義に向き合う根気が失われていることこそが、政治離れの本質なのではないか。つまり、民主制に基づく政治に対する諦め、もしくは焦燥感が蔓延しているのである。

政治に対する諦めは、誰がなったって一緒とか、投票に行ったってどうせ変わらないという言葉に象徴される。これらの言葉は、投票行動の拒否という形で発現される。だが、有権者でありながら投票に行かないという態度は、実は極めて政治的な行動と言える。なぜなら現状の政治に、全てを委ねるという決意に他ならないからである。

一方、政治に対する焦燥感は、抜本的改革、ゼロベースで考える、起爆剤といった言葉に象徴される。これらの言葉は、政治的に困難を伴う問題に対して性急な、あるいは破壊的な解決策を求める危険性を持つ。民主主義に失敗は付き物であるが、失敗の中には取り返しのつかないこともあることを忘れるべきではない。本当に大切なものは、失われてから気づくものなのである。

「民主主義を疑う者たちによる民主主義、それのみが民主主義を真っ当なものにする」(西部邁)とは、至言であろう。取り返しのつかない過ちを冒すのが民主主義だとすれば、過ちに向き合うことが、政治に必要な態度とも言える。同時に、過ちを冒すとわかっていれば、慎重な判断をするのが良識のある態度であろう。医療・介護・福祉といった分野を通して、国民の生活や健康に貢献すべき我々理学療法士に、この態度が伴っていなければ、いずれ政治が我々から離れていくのではないだろうか。(五)

※「幹事のつぶやき」は県連盟幹事が、政治に関する解説、時事批評、エッセイ、書評などを気ままにお届けするものです。是非、感想をお寄せください(hiroshima-info@pt-renmei.info)。なお、本コラムは個人の見解であり、広島県理学療法士連盟の見解ではありません。(広島県理学療法士連盟情報発信・令和元年8月19日・第200号)